SSブログ

TRPG各論 ~第4回「TRPGにおける物語」~ [TRPG・その他]

規約
・個人名・地名は避ける。

・以下の文は追記・修正を繰り返す。

・新たに追加文を書いたらコメントに入れる。

・第1章、第2章…と続いていくので、興味ある人はちょくちょくチェックして欲しい。

・CM・不都合アリと判断したら即削除

用語解説

◎超基本用語
・TRPG(アナログRPG)…テーブルトークRPGのこと。ほとんどがサイコロ・紙・筆記用具・会話で行われる。実は全RPGの祖
・TVゲームRPG(デジタルRPG)…家庭用ゲーム機やパソコン等を使用し、一人で楽しむことを主目的としたRPG。日本ではドラクエが代表的。
・ネットRPG…色々語弊がある表現だが、上の二つのRPGとの差別化の為。家庭用ゲーム機やPC等を使用し、ネットや通信機能を使って複数人数で楽しむことを主目的としたRPG。ラグナロクオンライン・モンスターハンター等が含まれる。
・ダイス(D)…サイコロのこと。六面体を「D6」、10面体を「D10」、六面体二個を「2D6」等と表現する。ダイスを振ることを「ダイスロール」あるいは単に「ロール」と呼ぶ。


◎人を指す用語
・PL…全RPGにおける「プレイヤー」の略語。
・PC…「プレイヤーキャラクター」の略語。PLが操るゲーム上の分身。TRPGでは基本的に一人のPLに一人のPC。
・NPC…「ノンプレイヤーキャラクター」の略語。GMが操るキャラクター全てを指す。街の人から仲間、ラスボスまで全てそう。
・GM…TRPG(アナログRPG)における「ゲームマスター」の略語。司会・データ処理・ゲームの進行・調整役。ほとんどのTRPGはコレがいないと開始出来ない。
・PL専…プレイヤーしかやらない人のこと。暗に(GMをする)努力を嫌う人、楽なポジションを占有する人など、負のイメージで使われることがある。
・吟遊…一人芝居がすぎる人間。主に物語重視するGMに現れる。「自分の物語は良いに決まってる」あるいは「他者は物語上信用できない」と思い込んでる事が多い。

◎ルール名称
・ロードス…80年代後半から90年代まで、様々なメディアで展開された「ロードス島戦記」のTRPGルール。D10を使う以外、実はかなり手軽なルール
・SW…TRPGで90年代前半国内王者で居続け「た」ルール「ソードワールドRPG」の略語。2D6で全て判定できる手軽さが大きく受けた。特に表記が無いときは「初代(1.0)」を指す。近年、「2.0」が出て萌え路線化にロートル達が仰天した。
・D&D…TRPGで全世界において王者で居続け「る」ルール「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の略称。完成度がかなり高いらしい。メインで使用するのはD20。様々なバージョンが存在し、同一ゲームとは思えないものも存在する。


◎その他用語
・口プロ…「口プロレス(くちぷろれす)」の略。PL・GM等の人対人において、口先の交渉術で相手をやり込める手法。以前はTRPGにおける交渉の主流だったが、PLの発想力・弁舌力にに頼るところが大きく、プレイの幅を狭くする・無駄な時間がかかりすぎる等の理由から近年は排除の方向に向かっている。
・シナリオ…TRPGにおける一つの話。連続ドラマの一話分と解釈したほうがよい。一話限りで終わる話を「単発シナリオ」という。
・キャンペーン…TRPGにおける連続したシナリオのこと。連続ドラマ全話をさすと解釈したほうがよい。ちなみに「連続シナリオ」とほぼ同義である
・リプレイ…TRPGのプレイの模様を録音等で記録し、文書化すること。第三者の目に触れることが可能な一つの方法。チュートリアルとしての役割もあり、書籍も多く発売されている。
第1章「初心者が誤解しやすい真実」

「OOOOの映画・アニメ・マンガが面白かった。コレを俺GMのTRPGにしよう。演出さえ工夫すれば同じくらい面白いに違いない」
物語型(能動的)GMが一度は陥るパターンがこれだ。
ぽ村 も経験がある。
そして一度そのままセッションを打てば良い。
すぐに理解する。

何もかもが間違いだったと。

工夫すればどうこうというものではない。
このパターンは十中八九失敗するパターンだ。
どうして失敗するのか?
内容は後述するが、結果から紹介しよう。

GMはPL達が自分の思った通り(元ネタの作品通り)に動いてくれない事にストレスを感じる。
PL達は自分の思った通り(元ネタの作品とは違う動き・判断)に動こうとするとGMからブレーキをかけられる。

プレイ中、この両者のストレスは解消されることは無い。

GMサイドからすれば「こういけば超面白い話になるのに何してるんだPLども!。もっと話を面白くするように協力しろ!」
PLサイドからすれば「俺が正しいと思った行動が全て否定・却下される。正解の行動を選択するまで総当たりかよ…。それはGMのストーリーであって、PLの俺達は要らないのではないか?」

つまりは相互否定・相互不信に陥るのだ。
原因は一つ。
「GMがTRPGの物語に対する前提を理解していないから」

じゃ、その前提って何?
それが第2章「そもそも前提が違う」で。

第2章「そもそも前提が違う」

映画も、マンガもそうだが、多く語られる物語は主人公が一人だ。
そらそうだ。
その方が感情移入しやすい。

物語も、彼(彼女)一人を中心に時には離れ離れになる仲間に囲まれて…。
しかし、主人公の目的・目標に向かって物語は進行してゆく。

じゃ、ここで前提を変えてみよう。

主人公が複数だったらどうか?

設定が双子や友人・恋人同士。
二人なら結構アリな設定だ。

三人なら?
格闘マンガやギャグマンガでならまぁありうる。

四人では?
冒険モノやチームモノとかなら…

五人では?
冒険モノやチームモノとかなら…

もう一つ聞こう。
その一人一人が、別々の意識を持っていて,、別々の目的を持っている。
必ずしも話の展開に協力的ではなかったら??

マンガ・映画は良い。
シナリオを書く人が、出来上がった物語を公表するだけだから。
パーティから外れた人間など、作品に一時、あるいは永遠に登場させなければ良い。

TRPGは全くそういう話からかけ離れている。
物語のあらすじや大筋を準備するのはGMだ。
しかし、物語を確定するのはPL達とのプレイだ。
PCが登場しないからといって、映画・マンガ作品のようにPLを除外するのは非常に難しい。
むしろ余程の悪意がPL側に無い限り、やってはいけないことだ。

竜王「世界の半分をやろう」
この申し出に「はい」と答えたドラクエ1ユーザーは多い。
主人公が一人(プレイヤー)だからだ。

しかし、TRPGでは六人のPLがいたとする。
もちろん全員「いいえ」とふんでたGMの意図とは反し
三人のPLが「はい」と答えた。
「いいえ」と答えるPL達と竜王とともに対峙する。。。

そんな計算外は「ある可能性」として考えなければならない。

「今日見た映画は面白かった。コレをそのままTRPGにしたら面白いに違いない」
それは「映画」という一方通行のメディアだからこそ「面白く」演出できたに過ぎない。
そのままの面白さをTRPGで伝えようとすると、確実に吟遊GM(第三回「マスタリング」で解説)なシナリオになる。

しかも映像も音も無し。
余計な時間もかけて劣化した形で提供する。
これならその映画を見たほうが余程マシだろう。

「前文」や「マスタリング」の回で挙げたが
TRPGはGMとPLの二者によるキャッチボールだ。

二者とは言うが、PLは複数人いるのが当たり前。

そう、プレイヤーは一人ではない。
目の前にいる1人~6人のPL達とともに完成させてゆく物語。
それがTRPGの物語だ。
つまり、プレイ開始時にはある程度不完全であることを求められる。
GMが作ってこれる部分は物語を10とするとあらすじっぽい3~6割程度。
6割以上はまず「吟遊GM」と罵られても仕方が無い。

残った7~4割を埋めるのはPL達が操るPC達の仕事だ。
(中には10割全てをPL達に任せようとするGMもいるが、それはアイディアも準備もしてない不届き極まりないGMなので相手にしないように。)
そしてプレイを終え、10になった(完成した)物語は正直必要では無くなる。

「未完成の物語を自分達の想像力と知恵と奇跡(という名の事故)で完成させてゆく」

その過程がTRPGの醍醐味だと言っても過言ではない。

一つの物語を完成させず(穴だらけにしたまま)打つ必要がある。
これだけで、
「完成度の高い未完成作品」
であることが求められる、マンガ・映画。
はては同じRPGである「TVゲームRPG」とも随分と物語の作り方・方向性は変わってくる。



「完成度の高い未完成作品」
であることがTRPGの作品(シナリオ)には求められるのだ。


っていうか、上の一文で結論が出た気がするが…。
まぁいい。

次回は「ネットRPGとの差」で。

第3章「ネットRPGとの差」

前文にも書いたように、 ぽ村 はネットRPG登場当初から、TRPGを脅かすモノとして認識。
そしてソレは間違いなく正解で、後に複数人のTRPGメンバーを、そして彼らのモチベーションを(ほぼ)それで失うこととなる。

ぽ村 がネットRPGに対して抱いた危機感。
それはいくつかのTRPGとの類似点を見出したからに他ならない。

通常のTVゲームにおいて、コントローラーを握るPLは間違いなく主人公だ。
世界はPLがコントローラーを通じて操るキャラクターでしか動かせないし、救えないし、終わらせられない。
逆に言うと、PLがコントローラーを握らない限り時間の止まった、つまりは「死んだ」世界である。
物語も全く進まない。

しかし、TRPGはPL1人が欠席でもシナリオを進行することが多々ある。
その世界に複数人数関わらせることによって、個人が触れなくとも
その世界は、間違いなく「生きている」からだ

世界に置いてけぼりにされるのが悪いこととは言わないが、自分の意思や行動が反映される世界。
その世界が自分の参加の可否に関わらず進行・世界が変わっているのなら、その変化に自分の意思や自分のPCを関わらせたい。
一度その世界に、そして自分のキャラクターに愛着が湧くとそう思ってしまう。

だから、PL達は自分の意思がなかなか反映されない一本道な物語(最初から完成された物語)は「自由度の少ない窮屈な物語」と感じてしまうのだ。

ではネットRPGではどうか。
ネットRPGも同様である。
複数人(しかもTRPGなんか到底及ばないほどの大人数)が、
時間を問わずその世界に関係し、
常に世界を動かし続けている。

当初 ぽ村 は
「コントローラーを持ってる者は、自分が主人公だと思っている、だからデジタル上での複数人RPGは上手くいかないのではないか?」
という期待にも似た不安を持っていた。

しかし、その複雑な感情は
「最初に種族・職業を選ばせる」こと、そして「コマンド選択式RPGではなくアクションRPG風にすること」でネットRPGは難なく克服してしまった。

つまりはこういうことだ。
TVゲームRPGはスケールのでかい、あるいは感動する物語を用意する。
前述のように
スケールがでかいほど、主人公は1人の方が盛り上げやすい。

戦闘はPLが自分1人で数人を一度に管理できる軽い労力。
しかも選択を保留して、個人の都合でゲーム進行を止めることも出来る。
この軽い労力のおかげで、物語を追う余裕もある。
物語やシステムを征服した時の達成感と感動がウリ。
これが一般的なコマンド式TVゲームRPG


一方、ネットRPGは
1、実際に別PLとコミュニケーションが取れる
2、善性に頼る面もある(多くの行動選択肢の中で、協力的な行動を取ると感謝するしされる。これは「物語の共有性」「連帯感」を生む)
これにアクションRPGのスタイルをとると
3、アクションによる労力の増大
4、FPS・TPSタイプにおいては正確な状況把握を強いられる

3・4はむしろ1人用のTVゲームとしてはマイナス評価であるが、
コレが数人同時プレイでお互いがフォローしあってとなると、感じ方が変わってくる。

つまり敵を殴ったり、派手な魔法を撃ったりする「TVゲームRPGで求められがちな爽快感」をネットRPGでは「他者に協力する連帯感」に置き換えあられるのである。

連帯感を重視すれば
なるほど、遊び方に幅が出てくる。
地味に見える回復役は、瞬時に戦況と仲間のダメージを見極め、痒い所に手が届くフォローでバックアップ。

それは時として強力な戦士よりも強敵になるだろう。
しかしその回復役をフォローするのは前線の戦士の役目。
その戦士でも武器や戦い方によって、小火器による戦い方・重火器による戦い方。
それぞれの特性を活かした戦いかたをする者もいる。
他者のフォローを期待しつつ、自分の戦法や役割を完遂する。

その連帯感。

その連帯感・達成感の為なら、1人でのゲームでは重荷となるアクションによる労力増大・正確な状況把握の強制はむしろ心地よい壁となる。
その労力の先にみんなと共有できる連帯感・達成感があるのだから。
一人用のTVゲームRPGでは得られない楽しみ方だ。

そう、TRPGに置き換えて言えば役割(職業)を演じる遊び方だ。
そしてそれはTRPGのそれよりも高速で、派手で、質が高い。

断言すると、
「共有性や連帯感を当て込んだ、役割を演じるタイプのシナリオ」
のTRPGはネットRPGに勝てない。

間違いなく勝てない。

少なくとも ぽ村 はそう分析したし、判断した。
ウリであるはずの「連帯感」「役割を演じる喜び」を優に上回り、「デジタルならではの派手さ」まで装備したネットRPG。
その威力は想像するだにTRPGプレイヤーとして恐怖させた。

だから一度は「TRPG辞める」とまでメンバーの前で発言している。

しかし、ネットRPGにも弱点があった。

それは「物語が弱いこと」。

スケールの大きく、起伏のある物語ほど、主人公は1人の方が良い。
自分の過去・恋人の存在・仲間との別れ・因縁ある強敵…
盛り上げる要素はどれも多人数には向いていない。

しかもネット世界で冒険するPLは常に一定ではない。
もし個人にスポットを当てたスケールの大きな物語を、ネットRPGが搭載したとしよう。
その主人公とみなされた人物が都合悪くて出席できない。
みんなはとにかく先に進ませたい。

主人公っぽい人物抜きで話を進めたら?

おそらく欠席してた人物はモチベーションが下がるだろう。
だからといって、みんな出席を待っていたら?
それもトラブルの原因となる。
なにより大きな話ほど他の参加者には「不平等感」が付きまとう。

だからネットRPGでは、スケール以前に物語は短く。
さらに物語の主人公に相当する人物をCPUが操る「NPC」として参加させているケースが多い。
(PLの操るPC達はみんな脇役として立場が平等になる)

つまり、TVゲーム式の「連続したスケールの大きな話」が打てないのだ。
しかしそれはTRPGでも同様だった。
オフィシャルなTRPGシナリオ集でも特定プレイヤーが主人公とする話の構成を避けている。
コレももちろん、PC達に不平等感を与えない為だ。

しかし、それを踏まえてなお
「連続した」
「物語に起伏のある」
シナリオが、TRPGが生き残る限られた活路で、その方法論を ぽ村 は非常に苦悩することとなる。

それとは関係なく第4章は「居心地良い物語とは?」で

第4章「居心地良い物語とは?」

物語作りは料理作りに似てる、と ぽ村 は思う。

すなわち、「変わったことをやろうとすると、変わった分だけリスクを伴う」
と思うのだ。

初級・中級・ベテランを問わず、GMにはある種の欲望がある。
それは「物語のオリジナリティで、PL達を「あっ」と言わせたい」
というものだ。

しかしコレを料理に照らし合わせると

「自分でオリジナルを作るからには、どこにも無いような物語を作りたい」
=「我流の料理を作るからには、奇抜な材料でどのカテゴリもにも無い料理を作りたい」

というのと同義である。
たまの気まぐれや、口直し(?)として食べる分には良いだろう。
しかし味の想像の付かない料理はたとえ食べた結果が「おいしい」としても、食べる前に「食べよう」というモチベーションが湧きにくい。

「お約束」という言葉がある。
この言葉ほど、多くのGMに軽視ないし敵視されている言葉は無いと思う
かなり大切なものなのに、だ。
料理に則ると「レシピ」と考えて間違いない。

小説・マンガ・映画・アニメ…
鑑賞する者たちは「お約束」なシーンをよく目にする。
それが「これからオリジナル物語を作ろうとする者」には、先の見える・退屈な物語と思わせる。

先の見える=退屈
は本当に成立するだろうか?

答えは否だ。
逆に先の見えない話は、鑑賞する者に疲労を強いる。
その結果が「面白かった」としてもだ。
その点が料理によく似ている。

いや、物語の場合はもっと性質が悪いかも知れない。
先が見えないということは、鑑賞者は物語を予測することを辞めてしまう。
物語に対して受動的になってゆくのだ。
これがTRPGだと、PLの無反応になり
無反応なPLの代わりにGMが(NPCを使って)物語を補填する…
つまりは「吟遊」という形式に陥りがちになるのだ。

参加者にとって、居心地の良いTRPGのプレイって考えたことがあるだろうか?
それは「自分の意思や決定が反映される」
そして「そのために動きやすい展開である」
ということが大切だ。

それがもっともやりやすいのは、準備する側のGMであるわけだが、参加者はGMだけではない。
PLにも積極的な参加を求める場合、ある程度「先が読める」展開でないと難しくなる。
つまりはGMは「お約束」を重視する必要がある。
むしろGM初心者がオリジナル物語を作る時は「お約束」で固めたらどうだろう?
ぽ村 はそう思っている。

お約束を「鑑賞する」のと「参加する」のとでは意味合いは全く違う。
TRPGは不完全な物語を完成した物語にしてゆくのが醍醐味のゲームだ。
お約束のシーンを用意したところで、PLがその通りに動くとは限らない。
お約束シーンを流れ通りに完成させるのも、違った方向に完成させるのもPLやサイコロの出目で決められるのだ。

つまり、TRPGにおけるお約束のシーンは未完成なままで、お約束な結果にならない可能性が多分にある。

お約束で固めるのが飽きたら、少しづつ変化球を入れるのが良い。
多くても5の約束・1の変化球。

お約束を踏まえた上での自分のオリジナル性…

これが、参加者のことを考えた物語作りだと ぽ村 は思っている。

次回は「エンディングについて」で。

第5章「エンディングについて」

「あの(マンガ・小説・映画・ゲーム)作品、途中までは面白かったが、終わり方が期待はずれ。」
触れた作品について、こんな感想をもった人は多い。
と、言うよりむしろ「終わり方も納得。面白かった」という作品の方が少ないと思う。

一度自分で物語を最初から最後まで創作してみるといい。
物語を広げるのは簡単だが、キレイに収束させるはさせるのは非常に難しい。
広げるだけ広げて、物語を畳めずに創作を放棄してしまう。

これはマンガ・小説・アニメ・ゲーム・映画…
プロが制作するどのジャンルにも、こういった「放棄」現象を目にすることが出来る。
クラシック音楽においても、出だしが良すぎて後が続かず製作放棄された「未完成交響曲」なんてのがあるくらいだ。
エンディングとはかくも難しい。

この対策として、作り手にはしばしば「物語をエンディングから考える」という逆手的手法が用いられる。
一方的に作品を提供できる作品は比較的容易だ。
人気で継続することになるマンガ等のメディアでは難しいかもしれないが、無理な継続を視野に入れなければ可能かもしれない。

では本題。
作り手がGM1人ではないTRPGでのエンディング。
この「エンディングから考える」手法が使えるだろうか?

確かにシナリオの作り手はGM1人かもしれないが、TRPGの物語作りはPL達との共同作業である。
GM1人が「OOOOというエンディングの形」を想定してセッションに臨んでPL達とのプレイが「XXXXというエンディングの形」のほうに転がった。
さぁ、キミがGMならどうする?

当然PL達の意思は尊重したい。
しかし、それでは自分が計画した「キレイな物語の終わらせ方」が出来なくなる。
特にキャンペーンともなると、複数回セッションを重ねるので物語が進むと、余計に(物語選択・自由度という名の)身動きが取れなくなってくる。
後でPL達に「エンディングがイマイチ」なんて感想を持たれるかも知れない。
だからと言って、PL達の行動に露骨にブレーキをかけられるか?
その行為も勿論ヒンシュクを食らうだろう。
(熟練のGMなら、やんわりと軌道修正できるが、それだけの機転とアイディアがいつも思いつくとは限らない)

そもそも「エンディングはこうなる予定」と制作時にGMが固定してる時点で、PL達の自由を阻害することになりやすい。
ならばやはりエンディングなど考えずに物語の風呂敷を広げるだけ広げれば良いのか?
それではやはり終局に向かう際に大変な困難を伴う。
「…風呂敷広げた状態で面白いと言ってくれてるなら、畳む(終わらせる)行為でガッカリさせることも無いよな…」
これが自然消滅の発想だったりする。

つまり、良く使われるエンディング対策
「最初にエンディングから始める」は吟遊プレイになりやすく
「風呂敷を広げるだけ広げる」は自然消滅になりやすい。
どちらもPL達には迷惑な形と言える。
その折中案を模索するのがTRPGの調整役たるGMの、一番の苦悩のタネではなかろうか?

次回は「エンディングの内容」で


第六章「エンディングの内容」

PLとしてシナリオを遊べず遊ばず、GMとして物語を作ってばかりいると、思考が一周して、
「人はハッピーエンドが普通に提供され続けると、ハッピーエンドに飽きる。」
そう思ってしまうことがある。

事実上バッドエンドで終わる小説・マンガ・アニメといったメディアに触れると
「バッドエンドもアリだ。商業的にも成功している!」
とか思いはじめる。

実際プレイヤー達がハッピーエンドに飽きることはある。
しかし、だからと言ってバッドエンドを望んでいると言う考えは短絡的だ。

TRPGのシナリオが未完成物語である以上、事故であれ判断ミスであれ、常に「バッドエンド」の可能性が付きまとう。
ロールプレイング「ゲーム」なんだから。
ゲームを苦労して、何の落ち度も無くミッションをこなした結果が100%バッドエンドだったら?

物語として印象には残るだろう。
感動もするかもしれない。

しかし
次回以降のPL達のモチベーションを大きく削ぎ落とす結果になる可能性も忘れてはならない。

最後の最後で上手くいってきたことが全否定されるのだから。
後味は、ぽっかりと心に穴のあいた空虚感…
そんなもの、多くのPL達は望んでいない。
例え一人が望んでいても、他数人の感想がネガティブなものだとすると、随分不味い事になる。
と言うより、バッドエンドをデザインしたGMに次回GMというお株が回ってこないことも考えた方が良い。

エンディングにこだわる、という考え方も誤ってるかもしれない。
TRPGは冒険ないしルール回しといった「過程」を楽しむのがメインなのだ。
GMはエンディングという「結果」に変り種を入れるほどの力を傾けるべきなのだろうか?

エンディングの設定(固定化)は、プレイ自体の自由度を奪うことにも繋がりかねない。
いや、かなりの確率で繋がるだろう。
つまり、エンディング(結果)は冒険・ルール回し(過程)を必死にこなすPL達の行動の延長であるべきだと思う。

事実、商業的にも既存の作品を舞台にした「出来上がったシナリオ」によるTRPGは、かなりPL達の自由を削いだ。
逆に「面白かったTRPGのプレイ」を、小説等にすると話の内容が破綻していたりして、かなりの修正を加えなければならない。

このことから、
「面白い物語や完成度の高いエンディング=面白いTRPGプレイ」
とは必ずしも合致しないことと理解できる。
エンディングの工夫は面白さに直結などしないし、PL達が「ああ、これでいい…」と、ある種の幸福感にもにた飽和状態程度が、望みうる最上…と、 ぽ村 は思っている。

上記にも述べたように、TRPGのシナリオはデザインした段階で「完成度の高い未完成品」である必要があるのだ。
物語もPLによる干渉の余地が必要…とはそういうこと。

TRPGをプレイすることで、バッドエンドの可能性は常に付きまとっている。
その結果がハッピーであれ、バッドであれ、GMがある程度誘導することは悪いことではない。

しかし、それは多くのPL達にとって後味が良い(次回作も遊びたくなるような)結末が望ましい。
ぽ村 はそう思う。


次回は「物語型TRPGの直面する問題点」で。

第7章「物語型TRPGの直面する問題点」

 


グループ内でルール回し方のセッション・シナリオに飽きが来ると、ほぼ物語型へのスタイルの移行が想像される。
しかしそれにはルール回し方には無かった色々な弊害が出てくる。
物語型はまず第一に

・『キャンペーン化しやすい。』
コレは少ない1セッションの時間でキレイに収拾できる「短い物語」が困難であることに由来する。
(「短い物語」がガンガン打てる人は、才能の無駄遣いだから、シナリオライターか小説でも書いたほうが良い)

物語型となると、「PC・NPCを含めた登場人物の把握」「舞台となる世界観」を知る必要が出るからだ。

前者は1~3セッションは必要だろうし、世界観に至ってはソレがオリジナル世界であると5セッション以上やらなければならない。
無論、この二者を「最初に解説・設定して」遊び、1セッションで物語型シナリオを完結させるルールや手法もある。
しかし、それは「残りは名前だけにまで作られたキャラクター」で「シナリオに書かれた予定調和の結末」を目指して遊ばなければならない。
つまりは、既に決まってる物語という強固なレールを走るため、職業・性別・年齢・設定・能力値といったものが既に固定されたキャラクターを選ばなければならないのだ。

これは確かに一つの解決策ではあるが、古参を始めこの手法には異議を唱える者も少なくは無い。
自分の分身たるキャラクターを他人(シナリオライターやGM)が勝手に決めているのだから、当然だろう。

しかも他者の決めた設定どおりに動かなければならないのだ。
プレイが窮屈に思えるかも知れない。
何より「PCを作る」という行為は、ルールの把握にも繋がるのだ。

そこでキャラクターを作る行為にも時間がかかる。
これで1セッションの時間の多くが潰される。
自己紹介、舞台となる世界の説明、把握度を確認して軽く戦闘のある一つのミッションでお互いの性格・戦力を把握。
物語型でも、ルール回し型でもコレはほとんど共通してることではないだろうか?。

しかし、一方で愛着の湧いたPCを続けて遊ぶ分には(物語の終わり=PCへの区切りとなって)悪い事ではなく、むしろ望ま

れたりする形だとも併記しておきたい。
利点でもあるが、同時に欠点でもある。


次に
・メンバー全体の出席率が高くないと難しい。
例えば、毎週やってるドラマやアニメの1話を見逃すとどう思うだろうか?
人によっては「一週くらい…あらすじ聞ければいいし…」と思うかもしれない。
しかし一方で「なんだかテンションが下がった。」と思う人は多少に関わらず居る。
なかには「なんだか見る気が失せた。見るのをやめる」という人まで出てくる可能性だってある。
コレが二回・三回と続くと、下二つのネガティブな思考は必ず可能性を増してくる。

それはPL側にとってのモチベーションだけの話ではない。
GM側としても「今回のシナリオは盛り上がりそうだし、あのPCをキーマンにしよう…」と、シナリオを用意してくる。
しかし、キーマンとなるはずのPCのプレイヤー(PL)が欠席だったら?

もちろん、居ないPCをNPCにして話を進める事も出来るが、全ての回答を知っているGMが一人芝居を打つ事になる。
これはかなり寒い展開だ。

そして、そのお寒い展開を強行して、物語が進んだとしても、ソレは「GMが一人で編み、続けて披露した物語」であり、「PL・PC達と一緒になって作った物語」ではない。
そして、その日欠席したPLはあらすじを聞いて「自分のPCはそんな行動取らない。」と違和感を持った後、
「自分ならあそこでもっと良い行動を取った」とか「自分には思いも寄らない行動をさせられた」と思ったり言ったりする。
ハッキリ言うと、PLからPCへの愛着を削ぎ落としてしまう行為だ。

何度も言うが、TRPGは「PL・PC達と一緒になって作る物語」だ。
ソレは裏を返せば、PL達が各々のPCになって判断や決断を下し、成功や戦果を重ねた「物語上の現在の状況」に愛着や興味を持っていないと成り立たない。

その判断や決断に、自分じゃない誰かの意思が入り込んできたら??

例え自分の意に沿った判断でも、他者がそれを下した事で多少なりと「違和感」を感じるだろう。

その違和感はずっと続く。
そうしてまで、無理にキャンペーンを続ける必要があるのだろうか?
その後の事を考えると、キーマンとしたPLが欠席の場合はセッションを延期するか、保留にして他の遊びでもするべきだ。

しかし、それだとせっかく他のメンバーは全員集まったのに、一人の欠席の為にセッションが流会になってしまう。
他のメンバー達は不満を抱くだろう。
「アイツだけ贔屓されている」なんて思い始める人も居るかもしれないし、欠席した本人に不信感を抱いたりする人も出るかもしれない。
結果、「出席率の良い人がキーマンとなるポジションになりやすくなる」し、そうでなければ、メンバー間の交友関係や空気を読んで、

リスク回避の為に出席率の悪いPLにはキャンペーン自体の参加を遠慮してもらう…という手段もあるし、各々のポジションの重要度を増すために少人数でのプレイという方法がある(そしてヲレは好んで少人数制で遊ぶ)

しかしニッチな趣味の参加者をさらに少なくする可能性も視野に入れると、どうしても間口を狭くしすぎている。

これも悩みどころの一つだろう。 



三つ目。
・物語の完成度は低い。
もう20年前近くになるが、TRPGとコラボしたライトノベルが好調な売れ行きを見せた時代があった。
実際のTRPGのプレイを小説化していたものも数多くある。

しかし、今はそうでもないらしい。
なぜなら、TRPGで遊ばれた物語は総じて完成度が低いからだ。
これは断言して良い。

どんなに面白いキャンペーンだったとしても、一歩引いて全体像を見れば、アチコチ破綻していたりする。

しかしプレイが面白かったのはなぜか?
それはGMもPLも「目の前の事が盛り上がる事にのみ、集中しているから」だ。
ヘタに「完成度の高い物語」を最初から意識してやると、グダグダになりすいし、PL達は窮屈だ。
全体のことに気を掛けれるのはGMくらいだが、それでもせいぜい「今回のセッションの結果で、次回のセッションが出来るかどうか不安」程度だったりする。

無事に次のセッションに繋げれられた過去のセッションは正直興味を無くしている。
なにより、やっているのはGMとPL達という二者しか居ない。

盛り上がってる傍で「いや、その展開はおかしいだろ…」と突っ込みを入れて修正や訂正を求める第三者など、その場からすぐにつまみ出されるだろう。

TRPGの物語は、
「GMが描いたおぼろげな道筋を元にPL達が行き当たりばったりで、ろくに訂正も修正もせず進む物語」
と言えば、その物語の完成度が伺える。

これを「ちゃんとした面白い物語」にするには、多くの脚色と実際に起ったプレイ中の出来事のカットが要求されるだろう。
昔のTRPG準拠のライトノベルはそのあたり苦悩したようだ。
TRPGリプレイとして雑誌・書籍で発売したプレイを小説化すると、脚色や出来事のカットを大きく入れなければ質は向上しない。
しかし、それをやると「原作リプレイと話が違う!」とか言われて固定ファンからそっぽを向かれる。
ファンを切ってはTRPGと同じタイトルの意味が無い。
そもそも、TRPGのファンでなければ読む事も無いのだし…。
と、当たり障り無い小説化を試み、ファンは喜ぶが、一般のライトノベル読者からはそっぽを向かれ、固定ファンも数を逓減し…という、商業的に不味いスパイラルに陥ってしまった(事実は違うかもしれないけど)。

一方で、面白い物語を投入しても、TRPGでは必ずしも面白いプレイにはならない。
むしろ面白くないプレイになりやすい。
これは第二章で触れているので割愛させてもらおう。


そして最後の四つ目。
・厳しい難易度のルール行使を要求できない。
キャンペーンは積み木に似ている。
安定した形のものを積み重ねれば、より安定して続く。
しかし、ソレだと飽きられる。
だから時々は不安定な形の積み木を入れれば、スリリングになる…が、しかし、問題はソコだ。

スリリングになるだけならいいが、そこで失敗してしまったら?

GM「盗賊のPCは解除に失敗。ワナにかかった。全員溶岩に落ちた。死亡。ゲームオーバー」
これが1オフシナリオなら苦笑いで「ああ、こういうこともあるのね…」で済まされるかもしれない。
笑いのネタにもなるだろう。

しかし、これがセッションを10回以上こなしてきたキャンペーンの末路となると、恐ろしい事になる。

なにせ、10回やってきた時間も労力も注いだ愛着も全て「無」になるのだ。
冷静でいられる者は居ない。
本当にそういうことをやると、PL達から「GM、ケンカ売ってるのか?」とかドスの聞いた声が聞けそうだ。
GMだって、この結末は(ケンカを売るのが目的で無いなら)戸惑っているに違いない。

では元はというと原因は何か?
客観的にはミスした盗賊のPCが悪いんだが、だいたいのワナ解除はサイコロのロールで行われる。
サイコロは無慈悲だ。
まさかの数百分の一の出目でさえ、最悪のタイミングに出てくる事がある。

それが出てしまったら?

それを「出ない」という前提でパーティが一発で全滅するワナを設定したGMが悪い事になる。

GMは色々リカバリーを試みるだろう。
「…と、いう夢をみたw」といって、ちょっと前まで戻るGM。
「経験値か所持金を半分にして。それで無かった事にするから」と、成功したことにして進めるGM。
「今の出目は無し!もっかい振って!」と、勢いで誤魔化すGM。
タイミングが良ければ一番下が楽しそうだが、どちらも何度も打てないリカバリー法だ。
何より、「結果を捏造した・された」感でPL達のテンションが下がってしまう可能性もある。

そもそも、こういう事故じみた全滅なんか無い方が良いし、ズルしてリカバリーというのも無い方が望ましいのだ。

それを何回もやらないように・あるいは一度もやらないように、GMは「一発で全滅するようなワナ」を設置しにくくなる。
戦闘も、「全滅の恐れがある」強敵を出しにくくなる。

そうこうしていると、低難易度・弱い敵で成功や勝利して当たり前のルール回しが蔓延する。
成功して当たり前のルール回しは、(大失敗のサイコロの出目の可能性で)それ自体がイレギュラーを醸す存在となり、イレギュラー排除の方向で物語型のキャンペーンを楽しもうとする人はルール行使自体を避けるようになるのである。

GMならルール行使の場を用意せず、PLなら自分で率先してロールを行わない、というようにだ。

そのゲームとしてのTRPGより、物語としてのTRPGに向かってしまった意識をどうするのか?
メンバー全員がルール回しを嫌がるなら、無理にルール回しにもって行くのは下策だろう。

そもそも、その場にいる人々は「望んでいないゲーム」を楽しみに来てる訳ではなく、
「望んでいる物語の続き」を楽しみに来ているわけだったりするのだから。
そこで「客観的に見てそれはゲームじゃない、TRPGじゃない」とゲーム方向に無理に向けようとすれば、大きくヒンシュクを買う。

客観的というのがそもそもおかしい。
なぜならそこには「GMとPL達」という二者しか居ない。
客観的な「第三者」なぞ居ないのだ。

話は脱線したが、TRPGは
「GMとPL。この二者さえが満足出来れば良い」
「他者の需要と自身の願望を履き違えてはいけない」
という事を忘れないで欲しい。


長々と欠点を論ったが、物語型のキャンペーンをちゃんと行い、終わらせるには、これらのリスクやデメリットを消去法で排除すると、こうなる。

・出席率の問題が起りにくい「少人数で」。
・それまでのセッションを無駄にしない為に、ルール回しは「低難易度で」か、「避けて」。
・そして物語は「その場に居る連中が満足できればそれでオッケー(ただし、二者が満足というのはかなり先鋭化することも多いので、そこは怖がらず)」というレベルで。

あとは、
・「GMのやる気プラスPLをセッションに惹き付けるマスタリング」かな?


書いていると「コレってゲームか?」と思ってしまうが、とどのつまりそうなる。
そうなった。
そうならなかったキャンペーンは全て自然消滅したので、この条件には自信がある^^;


次回は…あああああああ、何か書こうとしてたけど、忘れた;
思い出したら書くよ。


タグ:TRPG
nice!(0)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ゲーム

nice! 0

コメント 12

あかとし

ん? 初心者が誤解しやすい真実、でいいのか?
それだったら、
いきなりお笑い系キャラに走り、戦闘、ダンジョン等でコント
をしだす。
はどうか?
いや、俺の事なんだけど、あのときのGMの心境って
どうなんだろう。

ちょっとズレたなw
by あかとし (2009-11-26 19:39) 

ぽ村

>>あかとし
うん
最初は「初心者GMが誤解しやすい~」で行こうかと思っていたが。
初心者PLも結構
見たマンガ・映画を挙げて
「この話、いけるから打ってくれぇ」
と要望してきたりするので…。


>PLの突っ走り
ぽ村GMとしては、シナリオを脱線してない&他の連中が喜んでるなら、バッチリおkだよ。
むしろ、展開が読まれがちな戦闘やダンジョンでは、スパイスとして歓迎する。
TRPGはみんなが楽しんでナンボなんですよ!!
by ぽ村 (2009-11-27 15:48) 

人工知能の夫

最近のTRPG初心者に起きそうな誤解と言えば・・・・
「スライムは雑魚」
あいつら魔法の武器しか効かないじゃん(ゲームによるが)
やっぱりドラクエの影響?
by 人工知能の夫 (2009-11-28 20:25) 

ぽ村

間違いないよw

ドラクエでは「タマネギのオバケ」で紹介されてるし。

ドラクエ風に言うとバブルスライムあたりが容姿・強さが適合していると思う。
by ぽ村 (2009-11-29 00:15) 

ぽ村

第2章「そもそも前提が違う」をうp
by ぽ村 (2009-11-30 18:05) 

ぽ村

第2章「そもそも前提が違う」を一部手直し。

推敲も一度ではなかなか…;
by ぽ村 (2009-12-04 01:53) 

ぽ村

第3章「ネットRPGとの差」
をうp

前回と予告してたタイトルが若干違いますが、予告タイトルのままだと色々不都合ある気がしたので、予告修正含め変更しました。
by ぽ村 (2010-01-01 03:12) 

ぽ村

第4章「居心地良い物語とは?」
をうp。
by ぽ村 (2010-01-22 16:51) 

ぽ村

第五章「エンディングについて」をうp。
by ぽ村 (2010-02-20 11:43) 

ぽ村

第六章「エンディングの内容」をうp。

…すげぇ久々の更新だw
by ぽ村 (2010-11-03 02:55) 

ぽ村

・第7章「物語型TRPGの直面する問題点」をうp。

この板を定期的にちょくちょく見てる人がいるので、ここを優先しました。

遅くなりまくって申し訳ない…;


by ぽ村 (2011-05-02 01:14) 

ぽ村

誤字脱字(しかも脱文に等しい)が多くあったので、あちこち修正。

散文っぷりも苦悩を表現してると思いねぇ…
by ぽ村 (2017-11-18 01:51) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0