第一章「葛藤の過程」
…「前文」の続きと思って読んでもらうとわかりやすいと思う。
引き止められ、メンバーが( ぽ村 含め)わずか3人とまで減少したグループで、GMとして復帰を決意したヲレは
「一度この趣味は死んだモノ。ネットRPGに勝てないまでも、コレまで挙がってきたメンバーの希望を可能な限り全部入れてシナリオを作ろう」
と、キャンペーン作りに着手した。
「マスタリング」の回で触れられた全盛期の開始である。
それまでのPL達の要望を挙げると
「背景描写を細かくしろ」
「戦闘とダンジョンを排除しろ」
「戦闘を緊張感あるものにしろ」
「NPCにもっと個性を付けろ」
「背景・風景をイラスト化しろ」
というもの。
この要望達。
GMの負担を考えればどちらか一つか二つしか出来ないものを。
ヲレは全てやった。
それは同時に
1セッション(1週間に一度行われるセッション)あたり20時間以上の準備期間を強いられものであった。
(月曜~金曜の五日間×4時間以上=20時間以上)
その間、好きなゲームもプラモも出来ず
やるべき勉強も資格所得も殺して
大学のゼミの仲間達との交友も捨て
「付き合い悪いヤツ」と地元の友人達のある種の冷笑を買いながら
22時から2時までの一日4時間。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日…
ひょっとしたら日曜日に
「今回は面白くなかった」
「前の日遊びすぎて寝不足だった。話の内容おぼえてねぇや」
「オマエのはTRPGじゃない」
なんて言われる可能性も低くはないのに(実際どれか一つが飛び出してくることは、かなりの頻度である)
22時から2時まで
毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日…
そんな日々の始まりだ。
その甲斐あって、復帰第一回目は短めのキャンペーンながらPL二人から大きく評価された。
そして続編も期待される。
同時に
この過酷なスタイルで作られたキャンペーンは
その後のキャンペーンの「質」というか「レベル」を落とさないことも求めれたも同義だった。
95年に内部での人間関係が行き詰まりを見せて以来、ぽ村はメンバーから「TRPGを遊びたい」と希望を聞いたことが無かった。
「次回が楽しみ」「またお前(ぽ村)のが遊びたい」と言われ、嬉しかった。
自分の努力で
ぎこちなくなったグループ内の人間関係がTRPGを通じてまた仲直りするのではないか?
自分のシナリオでこんなに喜んでくれる人がいるなら、自分がこのくらいの犠牲を嫌がってどうするんだ?
そんなことを夢想した(惨い結果を知る現在の視点で言うとまさしく「夢想」だった)。
続編を求められる直前。
大学での退屈な講義の傍ら、ぽ村はコレまで「受けた演出」「面白かったと評価された」TRPGのシナリオやキャンペーンを。
そしてデジタルRPG・ネットRPGといった天敵達を分析していた。
今プレイしているキャンペーンが評価されてるからこそ、見つけておきたい。
その時しかなかった。
自分がPLだった時、何が面白かったか。
自分がGMだった時、何故盛り上がったか。
(当時は伝聞でしか判断できないが)
ネットRPGは物語性が弱そうだ。
多人数参加RPGは一人一人に脚光が集中しないようにするため、物語は弱く、TRPGで言うところの単発シナリオ。
それもダンジョン探索のような「役割を演じる」ものになるに違いない。
…では物語性で売るか?
ダメだ。
それが出来るならとっくにやってる。
素人のヲレはその物語のアイディアまで枯渇してる。
それに物語ではTVゲームRPGにも小説にもマンガにも映画にも勝てない。
それはとっくに悟っている…。
ルール回し?
自殺行為だ、ネットRPGはおそらく常に全員が動いている。
ルール回し重視のように、ルール行使中のPL以外に「待った」してる状態はあちらは無い(と想像していた)。
テンポが違いすぎる。
CGという視覚効果もある。
音楽や効果音といった聴覚効果もある。
TRPGにはどちらもほとんど無い。
だから当然受動的GMもナシだ。
PLの積極性に頼るプレイなど、いつモチベーションが崩壊してダレるかわかったもんじゃない。
そうでなくとも、ルール回し主体のTRPGはカードゲーム・ボードゲームに食われてるじゃないか。
それはルール重視のPL達が流出してることで証明されている。
やはり物語だ。
しかしヲレは素人。
物語のネタはもう枯渇している。
たまたま良い物語が浮かんだとしても、話を追うことに執着してしまい吟遊になる危険性も高い。
吟遊の原因は何か?
物語の質を維持するために、GMがPLの役回りを信用せずにシナリオを作るからそうなる。
じゃ、PL達が気兼ねなく発言し、参加し、演じたいと思える物語でないと、GMが吟遊になる危険から脱却できない。
PL達が積極的に役を演じたいと思う物語って、何だ?
…そういえば、ヲレがPLだったとき、ダレたプレイのなか、突然ヲレ一人が盛り上がったことがあった。
あれは何だったっけ?
…ヲレがGMの時、脇役臭い役を好むPLが食いつくように話に乗ってきた。
あれはいったい…??
アナログRPGは数多い欠陥の中、それを埋めて余りあるパーツはないか。
一つ一つ列挙して
何日も何日も考えて。
そして一つの回答が得られた。
ぽ村のグループの場合、
それは
スピーディな新ルールの採用でもない。
バランスが絶妙な戦闘でもない。
優れたトリックの仕掛けられたダンジョンでもない。
大どんでん返しが待つ物語ですらない。
「PL達が自分のPCの為に考えた設定を生かし、積極的に話の本筋に絡める」
というものだった。
第二章は「結論の効用」
第二章「結論の効用」
「PC達の設定を生かして、積極的に話の本筋に絡める」
という結論。
それはメンバー達の意見を汲み、ソレを元に行き着いた結論とは言え、
それはもちろん総意ではなかった。
完全な正解ですらなかった。
汎用性も低いと理解していた。
しかし、当時残っていたメンバー。
つまり、
ほぼ全てのキャンペーンに参加し、
出席率が良く、
GMとしてのヲレの復帰を望み、
他の者によるGMを拒否したメンバー
には間違いなく「受ける」スタイルだった。
古参のルール回し好きのメンバー達(GM経験者達)は出席率も悪化。
さらには「これからはカードゲームだ」「TVゲームの方が楽しい」「出稼ぎに出る」「受験が控えているのでパス」と、半TRPG離脱宣言をしていたので「準メンバー扱い」だった。
毎回参加できる「レギュラー」と
毎回どころか、キャンペーン丸ごと参加が危うい「準レギュラー」
そのグループがどちらの需要を重視するかまず考えてもらいたい。
当然、毎回参加の「レギュラー」側である。
そう。
ぽ村 は、ネットRPGに負けない活路として
グループ内の多数派の需要に応えることと、
自分の分析により導き出されたスタイルを貫くことに見出したのである。
割と簡単に思える結論かもしれない。
しかし、「TRPGはこうあるべき」という固定観念がほぼ全メンバーの頭の中にあるなか
その形を崩すことになりうる手段はなかなか思い付かなかったのが事実だ。
そう、長年関わってきたばかりに、
「大きく自由でなければならない」
「戦闘は無くてはならない」
「ダンジョンが面白くないのはGMの責任(TRPGの元祖が「D&D(ダンジョン探索式)」である以上が本来は面白いに「違いない」という立場)」
「ルールを駆使して色々な問題を打破する形式こそ正統」
こういった固まったスタイルに束縛されていた。
そのスタイルに束縛されている以上、PL達の求める「想像以上の」面白さなんて決して適わない。
素人のヲレが、PL達に想像以上の楽しさを提供するには?
人は他者から与えられたモノをさほど大切にはしない。
一方、自分で作ったものは少々拙いものでも愛着持って接する。
模型作りから、 ぽ村 はそれを知っていた。
TRPGにも、それは当てはまるのではないか?
今までGMが1人で考え・PL達に提供していた物語。
それをPL達と「一緒」に作って提供するのは、物語への愛着に繋がらないだろうか??
こうして
シナリオはGMの一存で全ての本筋が予定されることはなくなり、
時としてPLの書いた設定を基にし、
ある時は要望を拾い、
シナリオ進行の迷いがひどくなったら設定主のPLに相談し、許可をとるという
「このキャンペーンの骨はGMだけでなくて俺達(PL達)も一緒に作っている」
感を大切にした。
本来GMの負担となる事柄をわずかなりにPLに(しかもPLが嫌がらない内容で)分散し、
プレイヤーの需要に可能な限り応え、
そして予定調和過ぎないように意外性を所々に散りばめる…
自分達の設定したPCの物語にも「意外性という刺激」を控えめに入れて飽きさせないようにした。
これは ぽ村 が背景世界を作り、それを基にPL達が自分のPCの設定を練り、その設定を元に物語を組み立てるという、ゲーム開始前からキャッチボール式なやり取りの末に始まった。
具体的な手法を言うと
背景(コレはGMが設定)…国境付近の地方領主領。隣には鎖国政策を敷く強国・αがあり、最近緊張が高まっている。
PLAの設定「新米騎士として主君の命で主君の奥方(以下「X」)を捜索しに行く(失恋の傷心旅行含め)」
PLBの設定「戦乱の前に自分を育ててくれた行方不明の司祭(以下「Y」)を探しに行く」
PLCの設定「α国に興味があってどうにかして入ってみたい」
この3人の設定を元に一つの物語を制作する。
アチコチある設定の溝を補完する為に
NPC「α国からやってきた。α国内でも不穏な動きがあるので、あるものを国外の誰かに預けるつもり(ただし本人は話半分、やる気ナシの旅行気分)」
というのを投入。
で、以下は各PL達が個別で設定した、各々の物語の初期目的。
「Aは主君の命でXの捜索に出る。どうもα国に向かったという情報アリ。」
「Bは行方不明になったYの捜索に出る。α国で見かけたという情報アリ。」
「Cはα国国境付近の町で、侵入できないかとチャンスをうかがっている。」
「NPCは国境付近の町でA・B・Cに会う。鎖国で自分の国(α)が誤解されてる事に腹を立てる。」
物語の展開
NPCの手引きで、α国の侵入に成功したPC達。
鎖国のα国は魔族の力を借りた亡国の残党に内部から乗っ取られていた。
Ⅹはその残党勢力の子女で、夫(Aの主君)に同盟国中枢から内通の嫌疑がかからないように、α国へ亡命。
Yは善良な司祭であったが、亡国残党の中枢に位置する人物。
立場上、B含むPC達の前に立ちはだかる人間。
亡国残党達は、α国が封印していた古代王国の技術(コレを外界に知られないためにα国は鎖国を敷いていた)を用いて、亡国再興を図る。
純粋に知識を求め、古代遺物の保護や不使用を是とするCはその阻止に燃える。
NPCの所有する宝物は、古代技術の封印を開く鍵(全6つ)のうちの一つ。
国家レベルで封印していた鍵5つは残党勢力に既に掌握され、残りはNPCの持つもの一つ。
再興を執念深く追及する残党
敵国内でNPCを守り、自分達の目的を追求することでその阻止に動くPC達
古代王国技術の開放を人間達にさせ、それを横取ろうとする魔族達の思惑が交錯する…
これが結構盛り上がったキャンペーン「裏2.8章」だ。
連続した物語の「キャンペーンシナリオ」では、しばしば「なぜこのPCが、次のシナリオに進んでるのかわからない。理由も目的も無いのに…。」
ということがある。
これは商業レベルのセッションにも付きまとうもので、ロードス島戦記の第一部を例に挙げると
ラスボスを相対するモチベーションが設定的に存在するのは
ギムくらい。
主人公格のパーンですら灰色の魔女と衝突する理由は薄いし
ヒロイン格ディードリッドが危険な旅についていくのは半分好奇心。
スレインとエトはギムとパーンへの友情くらい(エトは信仰もあるが、灰色の魔女が教義的に敵かというとそうでもない。)
ウッド・チャックはサークルを手に入れるというのが突発的な衝動であることから、死地に向かう理由がほとんど不明。
これが普段のセッションならなおさらだ。
そこはゲームだ惰性だ、ご都合的な後付け設定(モチベーション)で片付けられてきたが、その事実は同時に参加者のモチベーションを削ぐことでもある。
何度も触れているが、TRPGは参加者の良心で成り立っている。
その良心が1人でも欠如すると
動く目的が無いことを理由に、動かなくなったり、流れに逆行するような行動を取ったりする。
そしてそれを咎めるようなものは存在しない。
それが理論的で合理的であればなおさらだ。
GMや周囲は慌てて行動を促すように説得するだろう。
しかし、それが良い方向に転んでも、結局事態が変わらなくてもテンションに冷や水をかけられた状態となる。
ますますモチベーションを削ぐこともしばしばだった。
しかし行き詰ったその場面にPLの設定した要素を絡めれば、モチベーションを削ぐことも行動に迷うこともない。
「こういう目標があるという設定のもとで旅をしてる」以上、理論的にも穴が空きにくい。
GMによる強引な誘導でもないため、PLは自分の設定した目的だから「自発的に行動した」と思わせる有効な誘導になる。
つまり、PL達が遊ぶ物語は「GM個人が作った身勝手な物語」ではなく、「自分含むみんなが作った物語」となるのだ。
このスタイルは出席率の良いメインメンバーに熱烈に支持される。
TRPG以外のプライベートでもセッションの話は飛び出すし、セッションの後セッションへの要望の電話・手紙も届いた。
メールの無い時代にだ。
と、言えば
TRPG経験者にはいかに盛り上がっていたかわかるのではないだろうか?
99年にグループは内紛で分裂するが、
分裂先に行ったメインメンバーも直前までこのスタイルを強烈に支持していた(なのに何故分裂したかは、別板「終局への告白」で語る)。
次回は「TRPGという目標と方法と解釈の齟齬」で。
第三章「TRPGという目標と方法と解釈の齟齬」
しかし、もちろん欠陥もあった。
とくに「全PLの考案したPC設定の設定を物語に盛り込む」は、PLの人数が多い(5人以上)場合、ほとんど不可能に近かった。
実際、無作為に過去の作品(もちろん別々の作品)に登場したPC達を5人分集めて設定を検討したところ、設定の融合はすぐに破綻した。
4人で設定の方向性が合えばギリギリ。
全く方向性の違うものだと3人のPC数が限界だった。
5人以上の人数だと、NPCでPC間の設定を補完することも出来ない。
そこで ぽ村 は「少人数TRPG」を提唱する。
PLはレギュラーメンバーのみか準レギュラーを1名の3・4人。
でなければ質は保てないし、なによりGMの負担(1シナリオあたり準備20~24時間)も既に限界だった。
何より、参加者が減少していたグループ的に、最適な形態だと思ったからだ。
実際、当時のプレイ可能なPL達の人数は3~4人…。
上のシミュレート的には最適か、限界の人数にぴったりだった。
しかし、この形式に対する準レギュラーメンバーからはブーイングも少なくなかった。
この方式を打ち出した約一年後…
97年夏ごろから、
それまで社会的な立場やTRPGの方向性を理由にTRPG半離脱宣言していた準レギュラーの面子が、次々と復帰を試みてくる。
しかし、少人数の設定中心で始まってるキャンペーンには途中参加者は弊害が大きい。
何より、出席率が保障出来ないという彼らの立場はキャンペーンの進行とグループ存続を危うくするものだった。
(PLがきめたPC設定を元にシナリオを作っている以上、欠席者の存在は欠席したセッションの空転を意味した。コレは ぽ村 の目指した「PLの設定したPCの設定を生かすキャンペーン」システムの大きな欠点だった。)
門前払いとまではいかないまでも、その場でプレイしているPL達との合議の末、途中参加を見送ってもらうことになった(これが後々火種になる)。
そもそもPL側に「設定作り」という負担をかけるということを、比較的古参のプレイヤー達はひどく嫌っていた。
しかし、 ぽ村 が1人で悪戦苦闘して制作したシナリオは、長年のメンバー達の要望から「ダンジョン・戦闘がかなり排除されたモノ(ルールがSWであり続けたことが原因と思う)」であり、結局物語回ししかない。
自由度を売りにしようとしても、受動的な行動を好むPL達が多い中、与えられた自由を彼等は動こうとしない。
そもそも「本筋の物語こそTRPGの楽しみ」と長年のプレイで感じていたメンバーだ。
メインのメンバーの中には
自由に動ける=本筋と関係ない側面を見せられる=無駄な行動と時間を強いられる
という方程式が固まっていた。
(当時は知らなかったが、TRPG全体的にこの頃から現在に至るまで冗長・煩雑なルールまわしは排除される風潮に傾いてた。知ってか知らずか、メインメンバー達の要望はこの風潮に合致したわけである。)
ルールはどんなに変更しても、いずれは飽きるもの。
ルールの質も保障出来ない。
なら、馴染んだルール(固定されたハード)で物語中心(柔軟なソフト)に動かすべき。
本筋たる物語の進行は「テンポ良く」が一番だという認識。
その物語も、話を強引に進めれば吟遊呼ばわりなので、PC達が関われるようにと調整が必要…。
それは旧来のルール回し中心のTRPGから大きく外れるプレイ形態だった。
そう
この案が登場する直前まで、既にグループ内の古参PL達(この場合準メンバー)が「TRPGはルール回しと自由度こそが正統で、物語中心は二の次」とする古いタイプのTRPGという、「正統派」なプレイ形式は閉塞感に包まれていた。
だからこそ「正統派」で固まっていたTRPGは、継続する以上、形式そのものを打破する必要があった。
しかし実際のところ、 ぽ村 のいたグループでは
それを何度も説いたが、準(主に古参のTRPGプレイヤー)メンバー達の理解はなかなか得られず
ぽ村 の姿勢を支持するメインメンバーとの意識の溝は深まる一方だった。
それはやがて交友関係にまで影を落とすようになり、
内紛の種火がくすぶり続けることになる。
次回は「TRPGである必要があるのか?」